終戦記念日に想う~ちょっと過激なカミングアウト~1

 目が覚めると、外は雨、時計は6:45を指している。

「お母さん、行ける?」

息子が寝室を覗いている・・・・・今日は、終戦記念日。

 

午前7:00から、県立大学名誉教授の高木桂蔵先生が、護国神社の拝殿前で、

「海行(ゆ)かば」を、歌われる予定だ。

 

そちらに、息子と共に、ご一緒させていただく様になって、何年になるだろう・・・

 

 但し、この調子であるから、毎年ではない。

 

「今からなら、急げば間に合いそうなんだけど・・・」

 

・・とでも言いたげな息子をよそに、(「言いたげ」なだけである・・言ったワケではない・・お母さん、怖いんで・・・?!)

(今から・・って、着替えもしなきゃだし、化粧もしてないし・・・)

・・・と、実は夕べ(?)布団に入ったのは、4:00(さっきじゃん!)の私は、

世俗の心満載で、お尻が重い・・・。

 

「お母さん、行かない気、満載なんだけど・・・」

「別にいいよ・・・それなら、それで・・・晴れていれば、チャリでも行けばいいんだけど・・」

「ごめんね~~~・・・じゃあ・・zzz・・・」

 

まったく、こ~ゆ~親の怠惰な行動が、純粋な少年の心を、

知らず知らずに傷付けるのだ・・・中3の息子は、76年前、御国のために、若き生命を捧げた英霊達に

この日ぐらいは、素直に心を傾け、祈りを捧げたかったかも知れない・・・。

 

結果、起きればやはり、「やっぱり行けばよかった・・・」という悶々とした思いに苛まれる一日を

過ごす事になったわけだが

 

実はこの日、私には、もう一つ、どうしても、心に浮かんでしまう、思いがありました。

 

 終戦記念日に、靖国神社や、護国神社を参拝する・・・というと、

見方によっては、ある種の思想的傾向・・・を、思われる方も、お有りかも知れませんが、

何を隠そう、私は小学校時代は、多分バリバリの、日教組系の先生のご指導を、叩き込まれました・・・いえ、いい意味で。

まあ、もちろん、当時の小学生の私には、「右」とか「左」とかという事は、全く意味がわかっていませんでしたが・・・。

 

それに比べて、中3の息子は、さすがに男のコ、中1ぐらいでは、「右」だ「「左」だの「中道」だの、

日常会話の中に、烈しく!顕われ、私にも、いろいろ教えてくれる、自称「ロシア❣love」

 

そして、そんな息子に言わせると

「お母さんは、完全に"左”です」・・・との事です・・・そうかな???

 

まあ、それは、どちらでも、良いんですが、

 

やはり、私にとっては、

護国神社にお祀りされていらっしゃる、御英霊のみなさまの魂、

「神さま」として祀られたくらいじゃ、

「とっても癒されないよ‼」・・・と、思っちゃうのよねえ・・・・。

 

いえ、実際、チャネリングやリーディングをさせていただいたりすると、

みなさま本当にご立派で、

しっかりご自分のご任務を全うされ、

後の世代の私達を、見守ってくださっていらっしゃって、

むしろ、「癒されない・・・って、思われたくない」・・・とおっしゃられる方も、

少なくありません。

 

・・・で、も、ね・・・。

 

まあ、そこからは、私の心の問題ですから、よいんですが・・・。

 

まあ、とにかく。

 

彼らの、「味わったもの。」

 

そこを無しにして、今の「私」という「存在」は、ない。

 

そんな思いを、息子も彼なりに、感じてくれているのかなあ・・と思うと、

 

ありがたい・・・と、思うワケです。

 

   「・・・なら、あと15分、早く起きてくれよ、オカン・・・❕」

 ハ、ハハハ・・・ですよネ❣